大学時代の友人の思い出

学生時代、仲が良かった友人が居ました。

県は違いますが、二人共東北出身で、家業が漁業、農業という点でも親近感を覚えました。
親元を離れて東京の大学へ通っていて、身寄りの無い一人暮らしという点も同じでした。

結局、彼に頼み込まれて同じサークルに入り、数年間を一緒に過ごす事になったのですが・・・。
いろいろな意味で、彼の事は忘れられません。

バブル期でしたから、学生といってもいろいろです。
大学合格のご褒美に、親から車を買って貰って乗り回している様な学生も大勢居ました。
無論、私達は、そんなリッチな学生ではありませんでした。
寧ろ、典型的な貧乏学生でしたね。
当時、私は埼玉のボロアパートに住んで、部屋は6畳一間、家賃は3万円でした。
そして、彼は板橋の3畳のアパートに住んでいて、「部屋が四角くない代わりに家賃が安いんだ」と言って笑っていました。

彼と一緒に、板橋の安い酒場を、よくハシゴしたものです。
酔いつぶれて、タクシーで帰ろうにも、そんなへべれけな学生、乗せてくれるはずがありません。
多少、意識がしっかりしている私が、彼を抱える様にしてアパートまで運んだものです。

さて、付き合いが長くなるうちに、彼の素性が、だんだんと判ってきました。
実家が「農家」というのは嘘ではありませんが、父親の職業が議員である事。
祖父は大臣まで務めた政治家だった事。

しかし、彼はそんな実家に反発して、一人飛び出す様に、東京へ来た模様です。
運命から逃れる様に、一度は自衛隊に入り、無理やり連れ戻されたと言うのは、その前の話でしょう。
頑なに「実家は農業」だと言うのは、そんな反抗心の現れだったのだと思います。
こういう、東北人らしい頑なな所も、私は気に入っていました。

親からの援助は断っていたのでしょうね。
冷暖房はおろか、マトモなガスコンロすら無い部屋に住み、電気ポットのお湯でパックのおでんを温めて食べていた彼の姿を、今も思い出します。

その後、いろいろとあって疎遠になってしまいましたが、彼の噂は漏れ聞いていました。
アルバイトが忙しかったのか、留年した事。
親のコネを使えば大企業にも就職できただろうに、それをせずに、小さな町工場に就職した事。

あのバブル全盛時に、ああいう骨のある男が居たと言うの事自体、珍しい話なのかも知れません。
お父さんは残念でしょうが、彼は議員の道は選ばないでしょう。
恐らく彼は、田中一郎(仮名)のまま生きて、田中一郎(仮名)として死ぬのだと思います。

そして、何十年も過ぎ、自分はIT系企業で働くエンジニアとなっていました。
ある時、ふと思いついて、懐かしい「田中一郎」という名前でネット検索をしてみました。

すると・・・。
私の目に、画面いっぱいに表示された選挙ポスターの画像が飛び込んで来ました。

そして、その上には巨大な字で、

県会議員 田中一郎のホームページ

と書かれていました。

彼に何があったのかは知りません。
ただ、この時、私はなんとなく 「これが人生」 などと思ったのでした。